寿永二年七月二十四日夜半、後白河法皇は按察使大納言資賢あぜちだいなごんすけかたの子息右馬頭資時うまのかみすけときただ一人を供にして、折からの闇にまぎれ人目を忍んで、御所を出た。行先は鞍馬くらまの奥である。