忠兵衛ちゅうべえ)” の例文
旧字:忠兵衞
毅堂が督学に任ぜられた時明倫堂の教授には渡辺忠兵衛ちゅうべえ、丹羽嘉七かしち、植松茂岳しげおか、岡田小八郎がいた。植松岡田の二人は国学の教授である。丹羽は書家である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二番目の同じ人の忠兵衛ちゅうべえはすぐ真上から見おろすと、筋ばった白い首のあたりは、しわがまざまざ目立って、肩から背へかけての後ろ姿にも、争えない寂しさがあった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
これらよりもずっと著われたは安永二年菅専助すがせんすけ作『傾城恋飛脚けいせいこいのたより』で全国に知れ渡り、「忠兵衛ちゅうべえ上方者かみがたもので二分残し」とよまれた亀屋の亭主をしくじらせた北の新地槌屋の抱え梅川うめがわじゃ。
それ忠兵衛ちゅうべえの夢がたり
若菜集 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)