庚申塚の寅松の氣の良さに打ち負かされて、此處では一番寅松を立てて、蔭の仕事をしてやらうと、平次らしく思ひ定めたのでせう。
仕方がないから歩いて歸つたが、後で若い者から聽くと、何んでも病人らしい者を私の駕籠に積んで、無理に巣鴨の庚申塚まで運んだといふことだ。
「下手人の疑ひを、その扱帶の持主にかけるためだ、——現に庚申塚の親分は、お君さんを縛らうとしたやうだが」
「私は一寸駕籠町まで行つて參りますが、旦那は庚申塚の番所でお待ち下さいませんか、友吉に案内させますが」
伜は大阪へ行つて居ると言はれて、庚申塚の赤塚樣から、がつかりして歸りかけた時でございました。
“庚申塚(庚申塔)”の解説
庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。
庚申待(庚申講)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
(出典:Wikipedia)
庚申待(庚申講)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が、庚申の日の夜寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や馬頭観音や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
(出典:Wikipedia)