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子龍
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しりゅう
ふりがな文庫
“
子龍
(
しりゅう
)” の例文
そう関門へ告げに来た者は、すなわち
趙雲
(
ちょううん
)
子龍
(
しりゅう
)
であったが、正使は諸葛孔明その人であり、玄徳の名代として従者五百余をつれて上陸した。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それがしは、
常山真定
(
じょうざんしんてい
)
(
河北省
(
かほくしょう
)
・
正定
(
せいてい
)
の附近)の生れゆえ、そこへ帰ろうとする者です。
趙雲
(
ちょううん
)
、
字
(
あざな
)
は
子龍
(
しりゅう
)
と云います」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それがしは、荊州の臣、
趙雲
(
ちょううん
)
子龍
(
しりゅう
)
。主人玄徳の命をうけ、これまでお出迎えに参りました。遠路、難所を越えられ、さだめしお疲れでしょう。いざあれにてご休息を」
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「それがしは、
常山真定
(
じょうざんしんてい
)
の生れで、
趙雲
(
ちょううん
)
、
字
(
あざな
)
は
子龍
(
しりゅう
)
ともうす者。仔細あって公太守の陣中にとどまり、微功を立てましたが、まだ若輩の武骨者にすぎません。どうぞ将来、よろしくご指導ください」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
これなん
真定常山
(
しんていじょうざん
)
の
趙雲
(
ちょううん
)
、
字
(
あざな
)
は
子龍
(
しりゅう
)
その人であった。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
源光圀
(
げんみつくに
)
あざなは
子龍
(
しりゅう
)
……。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“子龍(
趙雲
)”の解説
趙 雲(ちょう うん、Zhào Yún、延熹4年(161年)/建寧元年(168年) - 建興7年(229年)11月)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍。字は子龍(しりゅう・しりょう)。冀州常山国真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。
(出典:Wikipedia)
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
龍
部首:⿓
16画
“子龍”で始まる語句
子龍趙雲