大槻玄沢おおつきげんたく)” の例文
わけても陽明学を好み、傍ら大槻玄沢おおつきげんたくの弟子杉田忠恕ちゅうじょの邸へ通って蘭学を修めようというのだから鷹にしても上の部だ。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
寛政十一年(1799)出版の大槻玄沢おおつきげんたく磐水はんすい)の著『蘭説弁惑らんせつべんわく』に図入りで出ている。そしてその油すなわちオリーブ油をホルトガルの油と呼んだ。
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
老年になるに従って自分の手ではそれを果たすことが困難になって来たので、そこで門人の大槻玄沢おおつきげんたく依嘱いしょくしてこの仕事を行うことに決心したのでした。
杉田玄白 (新字新仮名) / 石原純(著)
『甲子夜話』続一三に、ある人曰く、大槻玄沢おおつきげんたくが語りしは、奥州栗原郡三の戸畑村の中に鶏坂というあり。ここより、さきの頃純金の鶏を掘り出だしける事あり。
馬鈴薯はけっしてジャガタライモではないぞと今日大声で疾呼し喝破したのは私であったが、しかし蘭山がジャガタライモを馬鈴薯だといった後五年しての文化十年(1813)に大槻玄沢おおつきげんたく
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)