自分に全躯保妻子くをまっとうしさいしをたもつの臣といわれても、こういう手合いは、腹も立てないのだろう。こんな手合いは恨みを向けるだけの値打ちさえもない。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
向こう見ずなその男——太史令たいしれい司馬遷しばせんが君前を退くと、すぐに、「全躯保妻子くをまっとうしさいしをたもつの臣」の一人が、せん李陵りりょうとの親しい関係について武帝の耳に入れた。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼らはこめかみをふるわせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。それから、自分らをあえて全躯保妻子くをまっとうしさいしをたもつの臣と呼んだこの男を待つものが何であるかを考えて、ニヤリとするのである。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)