倉沢義髄くらさわよしゆき)” の例文
北には倉沢義髄くらさわよしゆきを出し、南には片桐春一かたぎりしゅんいち、北原稲雄、原信好のぶよしを出し、先師遺著『古史伝』三十一巻の上木頒布じょうぼくはんぷに、山吹社中発起の条山じょうざん神社の創設に
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そういう正香自身も沢家に身を寄せることを志して上京の途中にあり、同じ先輩格で白河家しらかわけの地方用人なる倉沢義髄くらさわよしゆき、それに原信好のぶよしなぞは上京の機会をうかがっている。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
信州北伊那郡小野村の倉沢義髄くらさわよしゆきを平田鉄胤かねたね講筵こうえんに導いたのも、この正香である。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小野の倉沢義髄くらさわよしゆき、清内路の原信好のぶよしのように、中世否定の第一歩を宗教改革に置く意味で、神仏混淆こんこうの排斥と古神道の復活とを唱えるために、相携えて京都へ向かおうとしているものもある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大瀬木おおせぎというところまでは、北原稲雄が先に立って浪士らを案内した。伊那にある平田門人の先輩株で、浪士間道通過の交渉には陰ながら尽力した倉沢義髄くらさわよしゆきも、その日は稲雄と一緒に歩いた。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)