“よしあつ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
慶篤33.3%
義敦33.3%
義淳16.7%
義篤16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「十九日。風飛雪かぜゆきをとばす。松平民部大輔様箱館討手被為蒙仰候旨廻状到来。」松平民部大輔、名は昭武、前月二十四日に箱館の賊を討つことを命ぜられ、二十五日兄慶篤よしあつの後をいで水戸藩主となつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
尊氏につづいて、大高たいこう伊予、桃井修理、佐竹義敦よしあつ、また近侍の石堂十馬、畠山五郎、仁木於義丸おぎまるなども、床几の左右にずらりと居ならぶ。——あたりはもうほの青い夕だった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忠琢は帰山かへりやま氏をめとつて四子六女を挙げた。長男伊之助の生れたのは、文政九年忠琢三十歳の時である。伊之助、名は義淳よしあつ、後義方よしかたと改めた。経を安積艮斎に学び、又筆札を善くし、章斎と号した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
津山宗伯、名は義篤よしあつ、初厚伯こうはくと称した。宝暦五年の生である。幕府の医官山崎宗運に師事し、宗字を贈られて宗伯と改めたと云ふ。按ずるに宗運は宗円ではなからうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)