“まきりょうこ”の漢字の書き方と例文
語句割合
巻菱湖100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
天保三年九月その齢四十四、三度東行の途に上らんとする時、その友頼山陽らいさんようの病を京師に問い、江戸に来って巻菱湖まきりょうこ鉄砲洲てっぽうずの家に旅装を解いた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
近い例としては市河米庵いちかわべいあん巻菱湖まきりょうこ貫名海屋ぬきなかいおく長三洲ちょうさんしゅう日下部鳴鶴くさかべめいかく巌谷一六いわやいちろく吉田晩稼よしだばんか金井金洞かないこんどう村田海石むらたかいせき小野鵞堂おのがどう中林梧竹なかばやしごちく永坂石埭ながさかせきたい等……みな芸術を解するところがないばかりでなく
書道習学の道 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
初め巻菱湖まきりょうこに学び後市河米庵の門人となった。越後えちご長岡の藩主牧野備前守忠恭から扶持米を受けている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この二家と並んで天保の頃江戸詩人中の耆宿きしゅくを以て推されていたものは、目白台めじろだい隠棲いんせいした館柳湾、その弟巻菱湖まきりょうこ、下谷練塀小路の旗本岡本花亭おかもとかていの諸家である。花亭もまた竹渓と相識っていた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)