“としかつ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
厳勝50.0%
利勝50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
その子には、家康に認められた但馬守宗矩むねのりを生み、その兄たちには、勇猛の聞え高い五郎左衛門や厳勝としかつなどを出し、また孫には
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長男新次郎厳勝としかつも、衆にすぐれた若者だったが、備前の浮田家に仕え、十六歳の初陣に鉄砲で腰を打たれ、不具の身となってから、柳生に帰って引籠ひきこもったままである。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄の厳勝としかつの子——兵庫はちょうど何処からか帰って来たところだった。以前とすこしも変らない小柳生城の坂門の外で、今、馬を降りた宗矩のすがたを見ると、驚いて駈寄かけよって来た。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妻の由利ゆりとのあいだには、長男厳勝としかつ、次男厳久としひさのふたりの子もあった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土井摂津守せっつのかみ利勝としかつからわかれたおなじ一家。数馬なんかにくらべると、このほうが血筋が近い。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
例えば、閣老の土井利勝としかつは、自身、謀首ぼうしゅとなったような顔して、列藩の諸侯へ、謀叛状むほんじょうを送り、その手応えで、諸侯のはらを打診したという——奇怪なうわささえ巷間こうかんに洩れていた。
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)