“てらかどせいけん”の漢字の書き方と例文
語句割合
寺門静軒100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
新しい西欧文明をとり入れ出した東京の姿を書いたもので、馬車だとか煉瓦だとかが現われ出した頃のことが書かれてある。これはかの寺門静軒てらかどせいけんの『江戸繁昌記えどはんじょうき』にならって書かれたものである。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
江戸時代隅田堤看花の盛況を述るものは、大抵寺門静軒てらかどせいけんが『江戸繁昌記えどはんじょうき』を引用してこれが例証となしている。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
九月十五日に鷲津毅堂は長谷川昆渓を駒込こまごめ吉祥寺門前の幽居に訪い偶然寺門静軒てらかどせいけんの来るに会った。静軒が『江戸繁昌記はんじょうき』の著者たることは言うをたない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)