トップ
>
おおくぼしぶつ
ふりがな文庫
“おおくぼしぶつ”の漢字の書き方と例文
語句
割合
大窪詩仏
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
大窪詩仏
(逆引き)
大窪詩仏
(
おおくぼしぶつ
)
、菊池五山、
館柳湾
(
たちりゅうわん
)
の詩社に参した当時の詩人は大概竹渓の相識であった。煩を避けて一々その名を挙げない。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
文化五
戊辰
(
ぼしん
)
の年三月三日、南畝はここに
六秩
(
ろくちつ
)
の
賀筵
(
がえん
)
を設けたる事その随筆『一話一言』に見ゆ。
大窪詩仏
(
おおくぼしぶつ
)
が『詩聖堂詩集』巻の十に「
雪後鶯谷小集得庚韻
(
せつごうぐいすだににすこしくあつまりてこういんをえたり
)
」
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
文化七年
庚午
(
こうご
)
の歳に生れ詩を
大窪詩仏
(
おおくぼしぶつ
)
、
菊池五山
(
きくちござん
)
に学び、十六歳にして『
寰内
(
かんない
)
奇詠』を著し神童と称せられた。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
当時の詩風を代表すべきものは寛斎の門より出でた
柏木如亭
(
かしわぎじょてい
)
、
大窪詩仏
(
おおくぼしぶつ
)
、
菊池五山
(
きくちござん
)
である。
梁川星巌
(
やながわせいがん
)
に及んで唐宋元明の諸風を
咀嚼
(
そしゃく
)
し別に一家の風を成した。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
おおくぼしぶつ(大窪詩仏)の例文をもっと
(2作品)
見る