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おおあまのみこ
ふりがな文庫
“おおあまのみこ”の漢字の書き方と例文
語句
割合
大海人皇子
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
大海人皇子
(逆引き)
王ははじめ
大海人皇子
(
おおあまのみこ
)
(天武天皇)の
許
(
もと
)
に行かれて
十市皇女
(
とおちのひめみこ
)
を生み、のち天智天皇に
寵
(
ちょう
)
せられたことは既に云ったが、これは近江に行ってから詠まれたものであろう。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
大海人皇子
(
おおあまのみこ
)
が
大友皇子
(
おおとものみこ
)
に襲われ給うて、隠れた地だと云い伝え、その地名の讃甘は、この郷土の酒の甘味なのを皇子が愛でられたところから来たものだと云っている。
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
初め
大海人皇子
(
おおあまのみこ
)
と
御婚
(
みあい
)
して
十市皇女
(
とおちのひめみこ
)
を生み、ついで天智天皇に
寵
(
ちょう
)
せられ近江京に行っていた。「かりいほ」は、原文「
仮五百
(
かりいほ
)
」であるが真淵の
考
(
こう
)
では、カリホと訓んだ。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
「吾が背子」は、或は
大海人皇子
(
おおあまのみこ
)
(考・古義)で、京都に留まって居られたのかと解している。そして真淵訓に仮りに従うとすると、「紀の国の山を越えつつ行けば」の意となる。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
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