遠山とおやま)” の例文
見ないふり、知らない振、雪の遠山とおやまに向いて、……溶けて流れてと、唄っていながら、後方うしろへ来るのが自然と分るね、鹿の寄るのとは違います。
唄立山心中一曲 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そのまた奥の方には、めったに好くは見えないが、かすか遠山とおやまのぼんやりした輪廓りんかくが現われている。家の前には階段がある。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
私のことに興味を感ずる一例は、同じ信州でも南端の伊那遠山とおやまに、正月七日のサガ流しという行事があることである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただ遠いかなたに遠山とおやまがうすく青くかすんでいた。てしもない空の中にわたしの目はあてどなくまようのであった。
けれども、汽車の窓から見る山野の色は、さすがに荒涼たるもので、ところどころに小家のように積んである新藁しんわらの姿は、遠山とおやまの雪とともにさびしい景色の一つであります。
深夜の電話 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
例令たとえ遠山とおやまは雪であろうとも、武蔵野の霜や氷は厚かろうとも、落葉木らくようぼくは皆はだかで松のみどりは黄ばみ杉の緑は鳶色とびいろげて居ようとも、秩父ちちぶおろしは寒かろうとも、雲雀が鳴いて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
はてしもなくつづく浅霞あさかすみ……みずそらとのうあたりにほのぼのと遠山とおやまかげ……それはさながら一ぷく絵巻物えまきものをくりひろげたような、じつなんともえぬ絶景ぜっけいでございました。
ここは南の国で、空には濃きあいを流し、海にも濃き藍を流してその中によこたわる遠山とおやまもまた濃き藍を含んでいる。只春の波のちょろちょろと磯を洗う端だけが際限なく長い一条の白布と見える。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
遠山とおやまに日の当りたる枯野かな
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
長い通りの突当りには、火の見の階子はしごが、遠山とおやまの霧を破って、半鐘はんしょうの形けるがごとし。……火の用心さっさりやしょう、金棒かなぼうの音に夜更けの景色。
歌行灯 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たとえば信州遠山とおやまでは、粟などのいて外皮をいたものもヨネである(方言六巻一号)。天竜川を越えて三河の北設楽きたしだら郡でも、稗、麦ともに皮をとってしらげることをヨネスルという。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
辿たどる姿は、松にかくれ、草にあらわれ、坂にしずみ、峰に浮んで、その峰つづきを畝々うねうねと、漆のようなのと、真蒼まさおなると、しゃのごときと、中にも雪を頂いた、雲いろいろの遠山とおやまに添うて
縁結び (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
遠山とおやまの形が夕靄ゆうもやとともに近づいて、ふもとの影に暗く住む伏家ふせやの数々、小商こあきないする店には、わびしいともれたが、小路こうじにかゝると、樹立こだちに深く、壁にひそんで、一とうの影もれずにさみしい。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)