遅々ちち)” の例文
旧字:遲々
かねて隠岐一遊を、島の団体からすすめられているが、原稿も日々遅々ちちだし、机忙きぼうは溜るばかりで、どうも今のとこ行けそうもない。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
然しながら、訳筆は遅々ちちとして進まなかった。不案内な内容をひねくれた文章で書いてある上に、少しも気乗りがしなかった。
反抗 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
時間は遅々ちちとして、なかなかはかどらなかった。私は縁側に出て日向ひなたぼっこをしながら、郵便配達員の近づく足音を一秒でも早く聞き当てようと骨を折った。
大脳手術 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私はこの時一種の暗愁あんしゅうの湧くを感じた。黒い烟は、遅々ちちとしてはうように黄色をんだ豆圃まめばたけの上に影を映じている。その影は絶えず騒がしそうに乱れていた。
暗い空 (新字新仮名) / 小川未明(著)
数年の後、奥羽地方に鉄道を通ずるの日には、今の蒸気船便もまた、はなはだ遅々ちちたるを覚ゆることならん。
教育の目的 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
新進気鋭の演劇研究者の眼から観たらば、わが劇壇の進歩は実に遅々ちちたるもので、実際歯がゆいに相違ない。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
遅々ちちとしてヨンヌの平野をのたくりゆくうち、ようやく正午ひる近く、サンの町の教会の尖塔が、向うの丘の薄陽うすびの中に浮びあがって見えるところまで辿り着いた。
南博士達の仕事は遅々ちちとして進まなかった。五十嵐博士をうしない、その設計ノートまでも盗み去られた設計班は、羅針盤をうしなった船のごときものであった。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それから先はたとえ遅々ちちたりとも一歩の美をわが金魚に進むれば、一歩のわれの勝利であり、その勝利の美魚を自分に隷属させることが出来ると、強いて闘志を燃し立てた。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その眼瞼まぶたを重々しく開けたが、生命いのちの灯火の消えようとしている、どんよりとしたその白眼が、まず右手へそろそろと動き、さらに左手へ遅々ちちと動いたが、そこで突然閉ざされた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
自らその蛮勇なしとかえりみたならばいたずらいた電車を待つよりも、泥亀どろがめの歩み遅々ちちたれども、自動車の通らない横町よこちょうあるいは市区改正の破壊をまぬかれた旧道をてくてくと歩くにくはない。
……吾人ごじん結束せんとするや、彼等直ちにこれをさまたぐ、これを破る。我国社会運動の遅々ちちとして進まざる、すなわち此の無政府党あるに依る。実に彼等は社会主義の仇敵きゅうてきなり、人類の仇敵なり。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
濡れた電信柱にりかかって私は、前の大時計の針を眺めながら、もうどうせ売れはしない、早く帰りたいと思った。が、その夜に限って私には、時の歩みは遅々ちちとして進まないのであった。
生憎あいにく時計を見ると、かれこれ午後二時に近い、空気も稀薄になり始めて、絶頂まで、遅々ちちたる足取りでは、今夜中にホテルまで、戻り得られるか否かも、覚束おぼつかないので、ここから下山することにした。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
春日遅々ちちとして、のどかな画面。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それが日々、大陸の熱砂を這うごとく行く影は、炎日の労働蟻ろうどうあり蜿蜒えんえんと、物を運んで行く作業にも似て、あわれにもまた遅々ちちとして見えた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに反して教育は人の心を養うものにして、心の運動変化は、はなはだ遅々ちちたるを常とす。
政事と教育と分離すべし (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
私は黒い柱にかかった、古風の大きな八角時計を見上げた。縁の金色が、わずかに鈍い灰色の空気に光って、じっひとみを移さずに白い円盤を見詰みつめていると、長い針は遅々ちちと動いて、五分過ぎた。
不思議な鳥 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ようやくなだめているうちにも、書窓のひさしに、陽は遅々ちちと傾きかけながら、堂上の人の眠りは、いつさめるとも見えなかった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして正成の馬は、遅々ちちとして、この頃から進まなかった。馬上の人にも馬にも矢やら刀キズの血が生々しい。しかしそれだけのせいでもない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、春はようやく日も遅々ちちとして、駅路山村、どこでも怪しむ者などなかった。とはいえこの同勢で梁山泊への道はそうかんたんな行旅でもない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
各地に割拠かっきょする豪族たちから、遅々ちち、自覚されて、東海に徳川、織田のつあり、西海に、毛利、大内の起るあり、甲山に信玄、ここに謙信、相模に北条、そして駿遠の堺に
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筑前守様の御上意で、きょうはお前たちの所存しょぞんを訊いてやれとのお言葉だ。かねて汝らも知るがごとく、築堤の日限ははや半ばをすぎておる。然るに、工事は遅々ちちとして進まない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それでは遅々ちちと進まぬ道理だ。とかく兄上の御意志はわれらにはみかねる」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
隊伍と隊伍は、たがいに呼び交わしながら、遅々ちちとして、山路を越えていった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
乱麻らんまの状にて、余賊よぞく、容易に平定せず、さきに新田義貞からも、しきりな急使を受けておりますものの、いかにせん賊徒平定のはかりに、日夜、心をくだくのみで、遅々ちちと、延引えんいんいたしおりますこと
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるに、歩みも遅々ちちと、夜風の中をさまようている不審な人影が見えますゆえ、馬をとばして行き、何者かと呼びかけまするに、逃げもせず、新田殿の者か、足利どのの内かとたずね返しまする。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うの昔に、高麗村へまぎれこんで、あんな器用な芸当をやッてのけた上、ともかく、馬春堂を助け出して、物騒なお屋敷におさらばを告げているというのに、彼は、まだこんな所に遅々ちちとしている。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遅々ちち、春の日は、まだ山科やましなあたり、陽はうすずきもしていなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
窓外に日は遅々ちちたり
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)