水城みずき)” の例文
直義は、水城みずきあとまで出て、兄を迎え、共に、原山の陣所へ入った。原八坊の一つ四王院がすでにえいとしてよそおわれている。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蘇我の馬子の孫である赤兄あかえが、斉明天皇の失政として水城みずき石城いわき等の築造や軍需の積聚せきしゅうを攻撃しているごとき、明らかにこれを証示するものである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
……それに致してもお父上庄八郎殿のおり場所を本栖湖の水城みずきに相違ないと目星をつけられたその理由を、お話しくださることなりますまいかな?
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一首の意は、大丈夫ますらおだと自任していたこのおれも、お前との別離が悲しく、此処ここの〔水茎の〕(枕詞)水城みずきのうえに、涙を落すのだ、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
水城みずきの戸を出れば、われ先きに箱崎の津へと必死になって落ちて行く。宮中の礼儀も、挙措きょその優雅もあったものではない。そして強風を交えた豪雨である。
天智てんじ天皇のみ代だけについて見ても「このとしみずうすを造りかねわかす」とか「はじめ漏剋ろうこくを用う」とか貯水池を築いて「水城みずき」と名づけたとか、「指南車」「水臬みずばかり」のような器械の献上を受けたり
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
唐津、名護屋なごや怡土いと城、太宰府、水城みずき宇美うみ筥崎はこざき多々羅たたら宗像むなかた、葦屋、志賀島しかのしま残島のこのしま、玄海島、日本海海戦の沖の島なんて見ろ、屈辱外交の旧跡なんて薬にしたくもないから豪気だろう。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
世に珍しい纐纈をああも無造作に着ていた彼ら! あるいは彼らこそ纐纈城の兵達つわものだちではあるまいか、ところで彼らの本城は本栖湖の水城みずきだということである。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
旅人が馬を水城みずき(貯水池の大きな堤)にめて、皆と別を惜しんだ時に、児島は、「おほならばむをかしこみと振りたき袖をしぬびてあるかも」(巻六・九六五)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
九州水城みずきの城において、唐軍の来寇らいこうにたいし、堤を築き水をみなぎらせ、これを切って氾濫はんらんせしめ、一挙に唐軍を押し流そうと作戦したとか——何かの記に見たことがありました
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「遠い昔に城を出た。……本栖湖の水城みずき、俺の城、……五年前だったかしら、もっと前だったかしら?」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)