朧気おぼろげ)” の例文
旧字:朧氣
室の中もうす明く見えだして、昨日の山路、今日の行くてのことが朧気おぼろげながら頭に浮んで来る。同行者も皆眼を覚ましているようだ。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
私はこの月に本能の尊重を知り、宇宙の真の運命と云うものはどう云うものであるかと云う事が朧気おぼろげながら分ったことを有がたく思う。
測定者・木戸——とサインされてあるの貴重な三つの曲線の意味は、ようやく助手の丘数夫の頭脳に朧気おぼろげながら理解されるに至った。
キド効果 (新字新仮名) / 海野十三(著)
他の注意を粧飾しょうしょくとしても身に着けておきたかった。その困難が今の彼に朧気おぼろげながら見えて来た時、彼は彼の己惚おのぼれいて見た。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そしてこれまで朧気おぼろげにしか意識に上らなかった死というものが、この頃何を見る目にもつきまとって来たように感じられるのであります。
春風遍し (新字新仮名) / 小川未明(著)
朧気おぼろげながら持っている平生の意見が期せずして一致し、話せば話すほど、実行方法の細部にわたる点までが同感であるのを発見しました。
文化学院の設立について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
詩形とやらむ、規模とやらむ、技倆とやらむを云々するに非ず(略)おのれは晩唐諸家の文学に近きやと朧気おぼろげながら見受け申候。
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ここに可笑おかしい事がある。己は奥さんの運動を覚えているが、その静止しておられる状態に対しては記憶がすこぶ朧気おぼろげなのである。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
朧気おぼろげなる一個の写真ぞ安置せらる、れ此の伯母が、いま合衾がふきんの式を拳ぐるに及ばずしてかずに入りたる人の影なり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
それがもうみんなとうの昔に故人になったしまって、それらの記念すべき諸国手こくしゅの面影も今ではもう朧気おぼろげな追憶の霧の中に消えかかっている。
追憶の医師達 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
記憶は至つて朧気おぼろげである。が、私の両親は余り高田家を訪ふ事がなかつた様である。叔父だけは毎日の様に来た。叔母も余り家を出なかつた。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
そうして、朧気おぼろげに迫ってくる恐怖に、ひしと悶えて日を送るうちに、いよいよ法水の肝入りで、一座の東都初登場となった。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
つい十日ほど前に、熱いお雑炊を、ふうふう吹いていた横顔が目に浮びました。涙と香の煙の立迷うのとで、そこらはただ朧気おぼろげに見えました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
「何者なればかくしばしば予をい苦しむるぞ。ああ人生のわずらわしさ。永久の眠りこそ望ましいわい」という朧気おぼろげな声がきこえてきました。
ハムレット (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
全然二人の予期した返答は無かったが、ここに至って、此の紛れ入り者は、何の様な者かということが朧気おぼろげに解って来た。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
田万里、祖父江出羽守、伴大次郎——という名を耳にしたかの女のこころに、朧気おぼろげながら、恐ろしい思い出がよみがえってくる。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
夫婦ふうふ毎夜まいよゆめなかつづけざまにるあの神々こうごうしいむすめ姿すがた……わたくしどものくもったこころかがみにも、だんだんとまことのかみみち朧気おぼろげながらうつってまいり
そこで一杯のお茶を盆に乗せて、誰にでも出す。買物をしてもしなくても、同様である。図519によってこの店の外観が、朧気おぼろげながら判るだろう。
そうして其日の夕刻彼は漸く一人の墓地人夫を探し当てゝ、朧気おぼろげながらに当時の有様を知る事が出来たのだった。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
それももう六年前の出来事で、銭形平次も、徳五郎の失踪と余市の処刑を朧気おぼろげに記憶しているだけの事でした。
やがて、その土間の広くなった処へかかると、朧気おぼろげに、縁と障子が、こう、幻のように見えたも道理、外は七月十四日のの月。で、雨戸が外れたままです。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観をとおして描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気おぼろげに分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
私の朧気おぼろげに感ずる処によれば、多分貴方はその方法を欲しないだろうと思うのですが——。どうでしょうね?
むかでの跫音 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
すかせば朧気おぼろげに立木の数も数えられるのであった。源八郎の眼は長沼正兵衛すらも驚いているのであった。
怪異暗闇祭 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
すると朧気おぼろげながら、あの兇行の時間に、一つの一致を見る事が出来たのです。だが灯の消えたのは事実です……けれどもあれは消したのではなく、消えたのです。
(新字新仮名) / 楠田匡介(著)
七月の末まで待つうちに、節子の前途に開けかかった進路のいとぐちが朧気おぼろげながら岸本には見えて来た。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この事は古い統計にも載っているそうで、江戸ッ子は只新しく仲間入りをする田舎者で補充されて、やっとその命脈を保って来たらしいことが朧気おぼろげながら推測される。
どうかした拍子でふいと自然の好いたまものに触れる事があってもはっきり覚めている己の目はその朧気おぼろげさいわいを明るみへ引出して、余りはっきりした名を付けてしまったのだ。
風はいだ。曇っては居るが月が上ったと見え、雲がほんのり白らんで、朧気おぼろげに庭の様子が判る。
浜菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
その内に女が朧気おぼろげな記憶から、ふと汽車の事を口にし、それからだんだんに生まれた家の模様、親たちの顔から名前を思い出し、ついには村の名までいうようになったが
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私は今まで書物や絵で見ていた江戸時代の数ある名園の有様をば朧気おぼろげながら心のうち描出えがきだした。
極月の月光は曖昧の朧気おぼろげを潔癖性のように排斥はいせきするので、天地は真空ほどにも浄まっています。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
中田はどうやら、この荒涼たる原が、どの辺だかを、朧気おぼろげながら想像することが出来てきた。
自殺 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
飛び上った道庵は、月の光で朧気おぼろげに立札の文字を読むと、平水の時は一人前五十文と書いてある——そこで百文の銭を取揃えて、舟板の上に並べて置いて、申しわけをしたつもり。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「汐汲み」を踊って、楽屋で乳母ばあやのおっぱいを飲んだことを朧気おぼろげに覚えています。
お蝶夫人 (新字新仮名) / 三浦環(著)
見惚みとれて居ります中に朧気おぼろげ幽邃ゆうすいなる高雪峰こうせつほういな兜卒天上とそつてんじょう銀光殿ぎんこうでんかと思わるる峰の間から、幾千万の真珠を集めたかのごとき嫦娥つきが得もいわれぬ光を放ちつつ静かに姿を現わして
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
故意わざと気のつかない風を装つてゐることなどが、朧気おぼろげに少しづつのみこめて来た。
鳥羽家の子供 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
そして、小さくなって、湯槽ゆぶねの隅へ入った。朧気おぼろげに、四人の男の影が見えていた。
寺坂吉右衛門の逃亡 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
両脚に負傷したことはこれで朧気おぼろげながら分ったが、さて合点の行かぬは、何故なぜ此儘にして置いたろう? 豈然よもやとは思うが、もしヒョッと味方敗北というのではあるまいか? と、まず
十五日から十七日までのことは記憶が朧気おぼろげであるが、十八日の午前であったか、午後であったか、余らが枕頭に控えていると居士は数日来同じ姿勢を取ったままで音もなく眠って居た。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
が、にわ仕込じこみに集積される朧気おぼろげな知識は焦点のない空白をさまよっていた。紙の上で学んだ機械の構造が、工場の組織が、技術の流れが……彼にはただ悪夢か何かのようにおもわれる。
美しき死の岸に (新字新仮名) / 原民喜(著)
その部屋はひどくほこり臭かった。勿論電灯は消えていたが、両側の窓の鎧扉よろいどが下りていないので、硝子窓ガラスまどから星空の光が入って来るため、部屋の様子は朧気おぼろげながらもよく見ることが出来た。
亡霊ホテル (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
だがそれに答えるのには、窓の外からの朧気おぼろげな隙見丈けでは不充分だ。僕は薄闇の悪夢から醒めて、現実の社会人の立場から、殺人事件発見者として適当の処置をとらなければならない。
悪霊 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「ハイ、どうやら朧気おぼろげながらも解ったようでございます」一学は初めて頷いた。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
霧の立おほふて朧気おぼろげなれども明日あしたは明日はと言ひて又そのほかに物いはず。
うつせみ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
併し、私には、それで、患者の発病の原因が、朧気おぼろげながらわかって来て、患者は、外科の医学生か、或いは大学を出たばかりの外科医者で、笠松と云う医者の助手をしていたのに相違なかった。
その時分の事も朧気おぼろげには記憶しております。
その中には、子供ばかりではない、こういう自分や自分の細君なども、必竟どうするんだろうという意味も朧気おぼろげまじっていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その火影は寒さにって、穂尖ほさきが細く、しんが赤くなって、折々自然にゆらゆらとひらめくのが、翁の姿を朧気おぼろげに照していた。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
国から態々わざわざいに出て来た大石という男を、純一は頭の中で、朧気おぼろげでない想像図にえがいているが、今聞いた話はこの図の輪廓りんかくを少しもきずつけはしない。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)