吉備きび)” の例文
すなはちその島より傳ひて、吉備きびの國に幸でましき。ここに黒日賣、その國の山縣やまがたところ一一におほましまさしめて、大御飯みけ獻りき。
吉備きびくに中山なかやま——美作みまさかにある——よ。それがこしのひきまはしにしてゐる、細谷川ほそたにがはおとんできこえることよ。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
その中には、高津たかつのお宮のお飲み水を取る役所で働いていた、吉備きびの生まれの、ある身分みぶんの低い仕丁よぼろで、おいとまをいただいておうちへ帰るのが、乗り合わせておりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
真金まがね吹く吉備きびの海に、朝なぎに来依きよ深海松ふかみる、夕なぎに来依る○みる、深みるのよせてし君、○みるのよせて来し君、いかなれや国へかへらす、ちゝのみの父を思へか、いとこやのいもを思へか
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
備前、備中の境にある吉備きびの中山が、大納言終焉しゅうえんの場所と言われる。
播磨はりまの一部では挽割麦ひきわりむぎ蚕豆そらまめとをまぜて、塩加減しおかげんをして飯にいたもの、備中びっちゅう吉備きび郡では麦と豆とをってまぜて煮た米のめし出雲いずもの松江附近では番茶ばんちゃ煮立にたててそのなかに飯を入れて煮たもの
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
西は、吉備きびから足守川の上流の山地へ、北は龍王山から岡山境の山々まで。そして、東は石井山、かわずはな山端やまはずれにわたって——実に南の一方をのぞくほかは、ふところ深い天然の湾形をなしている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一三吉備きびの国賀夜郡かやのこほり庭妹にひせさとに、井沢ゐざは庄太夫といふものあり。
吉備きびにして、また八年やとせ、高嶋の宮
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
オホキビツ彦の命とワカタケキビツ彦の命とは、お二方で播磨はりまかわさき忌瓮いわいべえてかみまつり、播磨からはいつて吉備きびの國を平定されました。
天子てんし御料ごりようの、はたけのある山里やまざといた青菜あをなも、そこの吉備きび國人くにびとと、二人ふたりんでゐると、がはれ/″\とすることよ、といふ意味いみのことをいはれたのです。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
あるとき天皇はそのころ吉備きびといっていた、今の備前びぜん備中びっちゅう地方ちほうの、黒崎くろさきというところに、海部直あまのあたえという者の子で、黒媛くろひめというたいそうきりょうのよいむすめがいるとお聞きになり
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
吉備きびくに賀夜かやこおり庭妹にいせさとに、井沢庄太夫という人がいた。
讃岐さぬきの国に渡りける時吉備きびの児島の逢崎にて
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
備中吉備きび郡池田村大字見延字中島小字荒毛こうげ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
吉備きびにして、また八年やとせ、高嶋の宮
新頌 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
「これが、吉備きびの酒か」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉備きびの臣等の祖先のミスキトモミミタケ彦という人を副えてお遣わしになつた時に、ひいらぎの長いほこを賜わりました。
いくらか、さうしたものゝえるのは、或時あるとき仁徳天皇にんとくてんのうが、吉備きびのくろひめといふひと訪問ほうもんせられたところが、青菜あをなんでゐたのをつくられたといふおうたであります。
歌の話 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
淡路島あわじしまを見に行くとおっしゃって皇后のお手前をおつくろいになり、いったんその島へいらしったうえ、そこから、黒媛くろひめをたずねて、こっそり吉備きびまで、おくだりになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
備中吉備きび郡大和村大字岨谷すわたに字カリアツマリ
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
事が起ると足擦あしずりしてお妬みなさいました。しかるに天皇、吉備きび海部あまべあたえの女、黒姫くろひめという者が美しいとお聞き遊ばされて、し上げてお使いなさいました。
ここに天皇、吉備きび海部あまべあたへが女、名は黒日賣くろひめそれ容姿端正かほよしと聞こしめして、喚上めさげて使ひたまひき。然れどもその大后の嫉みますをかしこみて、本つ國に逃げ下りき。
然ありて後還ります時に、吉備きび兒島こじまを生みたまひき。またの名は建日方別たけひがたわけといふ。次に小豆島あづきしまを生みたまひき。またの名は大野手比賣おほのでひめといふ。次に大島おほしま二〇を生みたまひき。