“り”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:
語句割合
43.3%
17.1%
10.2%
7.3%
6.9%
3.7%
2.4%
1.6%
1.6%
1.2%
0.8%
0.8%
0.4%
冥々隠々裏0.4%
0.4%
0.4%
0.4%
0.4%
0.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
すると、ああ、ガンジス河、はばにも近い大きな水の流れは、みんなの目の前で、たちまちたけりくるってさかさまにながれました。
手紙 二 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
頼みざる段不埓ふらちの至りなるが併し理左衞門天下の政事も大小名の家の政事せいじに二ツは是なく其方は長門守家にては此越前守同樣の役儀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ある午後、僕は博士の不在を見すまして、猛然と彼女に迫つた。阿耶は拒まなかつた。二人は黒眼鏡めがねをかけて、白熱光の人となつた。
わが心の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
時には相手が笑つてゐて、何時いつ迄も要領を得ない事がある。与次郎はこれひとあらずと号してゐる。或時あるとき便所からた教授をつらまへた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
芳林閣ほうりんかくの改修をせよ」と、を督して、民間から巨材を徴発し、石や瓦や土を引く牛のために、民の力と汗を無限に濫用した。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
番兵がしらと張は、知らぬ顔して、見のがしてくれた。——王進は、深夜の底を走って、西華門へかかった。ここにも彼の弟子がいる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある晩さんざつないで下りてきたかんさんがいった。事実「両国八景」を目一杯にやって、そのあとこわいろまでやって下りてきたこの人だった。
小説 円朝 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「さて、てのひらだ、ここを見ろ!」いうと一緒に侍は、小指の付け根へ指をやったが、「よいか、ここはこんという。中指の付け根ここはだ。ええと、それから人差し指の付け根、ここを称してそんという。 ...
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「もっとくれ! のこすのはしい、おれが一でいただいちまおうよ。」といいながら、とうとう一人ひとりで、みんなべてしまって、ほね食卓テーブルしたげました。
翁が臨終りんじゆうの事は江州粟津の義仲寺にのこしたる榎本其角が芭蕉終焉記しゆうえんきに目前視るが如くにしるせり。此記をるに翁いさゝか菌毒きんどくにあたりてとなり、九月晦日より病にふしわづかに十二日にして下泉かせんせり。
さては、あったら名人のこころづかいもくうに帰して、水火秘文の合符がっぷ、むなしく刀柄に朽ち果てる……のか。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
小さき者、、つつしんで黒き牡牛をいけにえにして、敢て至高至大なる天帝にことあげいたします。私はみ旨を奉じ万民の苦悩を救わんがために、天帝に罪を得た者を誅しました。
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
病と死亡の数字が、二十、四十、いや百以上にも及ぶ、とあるかと思うと、そのすぐあとで、えき病のいっさいの出現が、きっぱりと打ち消されていないまでも、すくなくとも全くまれな
病者の八割は死んだ——しかもおそるべき死にかたで。なぜならこの災厄さいやくは極端な狂暴さで現われてきて、あの「乾性」と名づけられている、最も危険な形態をしばしば示したからである。
されば今日のわが清鮮爽快なる日本の新天地においてすらなお旧分子の冥々隠々裏に飛揚跋扈ばっこの威勢を逞しゅうするもまたゆえなきにあらざるなり。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
民さんは戸口へ出て、紅い顏、きんだ樣子をして、昌さんの出て來るのを待つてゐる。昌さんが出て來た。
南方 (旧字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
壮観までも、一違わぬ実感を以て、さながらに描きあらわすのみならず、引続いては、その天変地妖の中から生み出された原始人類、すなわち胎児自身の遠い先祖たちから
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
春、K温泉から山路をのぼること一、はるか眼の下に渓流けいりゅうをのぞむ断崖の上、自然石のベンチに肩をならべて男女が語りあっていた。
断崖 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
竹を插んでと為す、其地の数の如し。五石瓮(かめ)をうづめ、泉をめて池と為し、千葉の白芙※(蓮)を植う。又た木の品(木の類)若干と草の品若干を雑へ植う。之を名づけて東籬と曰ふ。
小国寡民 (新字旧仮名) / 河上肇(著)
孔子、弥子瑕にりて夫人を見たり。(『呂氏春秋』、慎大覧貴因)
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)