額田ヌカタ)” の例文
応神帝崩後、額田ヌカタ大中彦オホナカツヒコ、倭ノ屯田・屯倉を自由にしようとなされて、是屯田は元来「山守ノ地」だから、我が地だと言はれた。
此審判の時、額田ヌカタ女王一人が、作つて答へたと見えて居るが、私の考へでは、集つた人皆が作つたが、額田女王の歌が、ぬきんでゝ居たと思はれる。
万葉集の解題 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)