“袁逢”の解説
袁 逢(えん ほう、生没年不詳)は、後漢後期の政治家。霊帝時代の国三老(霊帝の頃の国三老は時期は違うが、袁逢と楊賜の2人)。字は周陽。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。後漢の太尉袁湯の子で、太僕袁基、左将軍・徐州伯、仲皇帝袁術の父にあたる。弟に袁隗。また姉妹は楊彪の妻となった。
太尉・司徒・司空を歴任した大政治家袁湯の12名の子の一人で、名が伝わっている者の中では第3子にあたる。本来、袁湯の家を嗣ぐはずだった袁成が夭折したので、袁逢が袁湯の家をつぎ、袁湯の爵位安国亭侯を嗣いだ。霊帝の頃、三公に至る前に三老となった。その後、司空と為り執金吾にあった頃に亡くなった。
(出典:Wikipedia)
太尉・司徒・司空を歴任した大政治家袁湯の12名の子の一人で、名が伝わっている者の中では第3子にあたる。本来、袁湯の家を嗣ぐはずだった袁成が夭折したので、袁逢が袁湯の家をつぎ、袁湯の爵位安国亭侯を嗣いだ。霊帝の頃、三公に至る前に三老となった。その後、司空と為り執金吾にあった頃に亡くなった。
(出典:Wikipedia)