トップ
>
腰越状
ふりがな文庫
“腰越状”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
こしごえじょう
66.7%
こしごえのじょう
33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
こしごえじょう
(逆引き)
これは在来の「
腰越状
(
こしごえじょう
)
」の泉三郎で、前の「泉三郎」とは何らの関係がある訳ではないが、「泉三郎」がまた出るというので世間の噂にのぼった。
明治劇談 ランプの下にて
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
世にいう「
腰越状
(
こしごえじょう
)
」——あの言々句々、心血にそめた一書を、兄の
吏
(
り
)
大江広元
(
おおえのひろもと
)
に託して、悄然、京へ引っ返した。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
腰越状(こしごえじょう)の例文をもっと
(2作品)
見る
こしごえのじょう
(逆引き)
そこで義経は、大江広元のところへ泣くなく身の潔白を証明するための書状を書いて送った。これが、世にいう
腰越状
(
こしごえのじょう
)
といわれるものである。
現代語訳 平家物語:11 第十一巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
腰越状(こしごえのじょう)の例文をもっと
(1作品)
見る
“腰越状”の解説
腰越状(こしごえじょう)とは、源義経が兄の源頼朝に宛てて認めたとされる手紙。元暦2年5月24日(1185年6月23日)、義経が頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを止められて腰越に留まっていたとき、満福寺で心情を綴ったものと伝えられる。この手紙は公文所別当大江広元宛てに書かれ、頼朝へ取り次いでもらったとされるものの、結局義経は鎌倉入りを許されず京都へ引き返すこととなった。
腰越状は明治時代初期まで、手習いの教科書として用いられた。
(出典:Wikipedia)
腰
常用漢字
中学
部首:⾁
13画
越
常用漢字
中学
部首:⾛
12画
状
常用漢字
小5
部首:⽝
7画
“腰越”で始まる語句
腰越
検索の候補
腰越
蟻腰越
“腰越状”のふりがなが多い著者
作者不詳
吉川英治
岡本綺堂