節折ヨヲ)” の例文
大殿祭・祓への節折ヨヲりに接して大嘗祭り、此に続いて鎮魂式、尚もひき続いて直日呪詞、夜が明けると共に、高御座ののりとが行はれる。
鎮魂祭・節折ヨヲり・御神楽共に、元は、鎮魂の目的から出た、呪式の重複した神事である。うたに近づいて行つたのは、信仰の変改である。
大祓詞及び節折ヨヲりの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでゐたのかも知れない。だが、大祓詞は放つ方ばかりを扱うた事を示してゐる。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
其重大なる儀式の一種であるみぶを奉仕したのが、後世由来不明となつた、節折ヨヲりに奉仕する中臣女の起原である。
貴種誕生と産湯の信仰と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
さうした異神群行し来つて、鎮祭を司る遺風を伝へたものは、大殿祭や室寿ムロホギばかりではなかつた。宮廷の大祓へに伴ふ主上の御贖オンアガナひの節折ヨヲりの式にも、此があつた。
十二月になつて、清暑堂の御神楽があり、おしつまつて大祓へ・節折ヨヲりが行はれる。
そうしてすくなくとも、これにはあって、宮廷の行事および呪詞にない一つは、みぬまに絡んだ部分である。大祓詞および節折ヨヲりの呪詞の秘密な部分として、発表せられないでいたのかも知れない。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
七夕の「乞巧奠キツカウテン」の如き、「盂蘭盆會」の如き、「節折ヨヲり」の如き、皆、鎭魂・魂祭り・祓除・川祭りの固有の儀禮に、開化した解説と、文明的な——と思はれた——方式の衣を着せたものであつた。