明治以前になくなつて居た節季候は、顔を包む布の上に、羊歯の葉をつけた編笠を被り、四つ竹を鳴して、歳暮の家々の門で踊つた。
此たゝきと言ふものは、思ふに「節季候」が山の神人(山人)の後身を思はせる如く、海の神人の退転したのではあるまいか。
「鹿島のことふれ」が𢌞り、次いで節季候・正月さしが來る。「正月さし」は神事舞太夫の爲事で、ことふれは鹿島の神人だと稱した者なのだ。
此中、節季候は、それ等より形式の自由なだけ、古いものと言はれる。其姿からして、笠に約束的の形を殘してゐた。此は、近世京都ではたゝきと言ふ非人のすることになつて居た。
京では歳暮に姥たゝといふ乞食が、出たと言ひます。此もさうした者ではないでせうか。節季候といふ年の暮を知らして来る乞食も、山のことぶれの一種の役なる事は、其扮装から知れます。