“祐範”の解説
祐範(ゆうはん / すけのり、生没年未詳)は、平安時代末期の僧侶。熱田大宮司・藤原季範の子。源頼朝の叔父にあたる。法橋。子に任憲。
保元4年(1159年)3月に姉の由良御前が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔っている。平治元年(1160年)12月の平治の乱では、姉の長男で甥にあたる14歳の源頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出している。頼朝の伊豆配流に付き添ったのは、祐範の郎従と頼朝の父・義朝の家人で因幡国住人・高庭介資経が送った親族の藤七資家『吾妻鏡』元暦元年3月10日条。のみであったという。祐範はその後も伊豆の頼朝の元に毎月使者を送っている。
(出典:Wikipedia)
保元4年(1159年)3月に姉の由良御前が死去した際、49日の仏事を差配してその菩提を弔っている。平治元年(1160年)12月の平治の乱では、姉の長男で甥にあたる14歳の源頼朝が罪人として伊豆国の配所に送られる際、郎従を付けて送り出している。頼朝の伊豆配流に付き添ったのは、祐範の郎従と頼朝の父・義朝の家人で因幡国住人・高庭介資経が送った親族の藤七資家『吾妻鏡』元暦元年3月10日条。のみであったという。祐範はその後も伊豆の頼朝の元に毎月使者を送っている。
(出典:Wikipedia)