瘡養生きずようじょう)” の例文
周瑜しゅうゆは、その後も柴桑さいそうにいて瘡養生きずようじょうをしていたが、勅使に接して、思いがけぬ叙封の沙汰を拝すると、たちまち病も忘れて、呉侯孫権へ、次のような書簡をしたためて送った。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)