瑞龍山ずいりゅうざん)” の例文
この一篇の文章はたれも暗誦そらんじているものだった。三、四年ほど前、ここから近い瑞龍山ずいりゅうざんの境内に建てた老公の寿碑じゅひへ、老公自身が起草して、それに刻ませた一文である。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瑞龍山ずいりゅうざん一帯、巌石がんせき峨々ががたる山なので、清水のわき出ている場所は極めて少ない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張御器所ごきその人、堀尾吉久の子で、幼名仁王丸におうまる、のち小太郎といい、結髪して茂助と改む——というから、或いは、瑞龍山ずいりゅうざんの山家に土民となっていた頃は、まだ小太郎と称していたかもわからない。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はっ。……さし当っての処置はすべていたして参りました。惣左どのの遺骸は、検視のうえ、瑞龍山ずいりゅうざんの本堂へ運びおき、下手人の捜査には、大高新右衛門が主となって急速に手わけをいたしました」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)