朝川善庵あさかわぜんあん)” の例文
しかし抽斎は玄丈よりも広く世に知られていたので、人がその殊遇しゅぐうめて三年前に目見をした松浦まつうら壱岐守いきのかみはかるの臣朝川善庵あさかわぜんあんと並称した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
日蓮宗にちれんしゅうの事だから、江戸の市人いちびとの墓が多い。知名の学者では、朝川善庵あさかわぜんあん一家いっけの墓が、本堂の西にあるだけである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)