向柳原むこうやなぎはら)” の例文
五百が山内家をことわって、次に目見めみえに往ったのが、向柳原むこうやなぎはらの藤堂家の上屋敷であった。例の考試は首尾好く済んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
楽真院は茝庭さいてい、安良は暁湖ぎょうこで、ならびに二百俵の奥医師であるが、彼は法印、これは法眼になっていて、当時くらの分家が向柳原むこうやなぎはらの宗家の右におったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)