光厳院こうごんいん)” の例文
しかし冷泉為相れいぜいためすけの子為秀も京にいた。京方は持明院統で、光厳院こうごんいんの後を継がれた光明院の代である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
光厳院こうごんいん法皇の御分骨をおさだめしてある霊地といい伝えておりますが、足利の世このかた、御垣みかきは仆れ、朽葉にうずもれ、あまりに荒れはてておりますので——今日はふと、朝から母といいあわせて
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
邦良早世ましましたので、後醍醐天皇は御自身の皇子を皇太子にと思召おぼしめされたが、幕府は両統迭立の議によって、後伏見の皇子量仁かずひと親王(光厳院こうごんいん)を皇太子に立て奉った。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)