丹比タヂヒ)” の例文
丹比タヂヒ氏の伝へや、其から出たらしい日本紀の反正天皇御産の記事は、一つの有力な種子である。履中天皇紀は、ある旧事を混同して書いてゐるらしい。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
丹比タヂヒ氏の伝えや、それから出たらしい日本紀の反正天皇御産の記事は、一つの有力な種子である。履中天皇紀は、ある旧事を混同して書いているらしい。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
恐らく多遅比の名称は、若皇子を御養育した多遅比氏(丹比タヂヒ氏)の名称であつて、つまり、丹比氏が養育し奉つたから、若皇子の御名を多遅比と称へたのであらう。
貴種誕生と産湯の信仰と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
事実、壬生と産湯との関係は、反正天皇と丹比タヂヒ壬生部との旧事によつて訣る。出産時の奉仕者の分業から出た名目は、恐らくにふ・みふの用語例を、分割したものであつたらう。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
事実、壬生と産湯との関係は、反正天皇と丹比タヂヒ壬生部との旧事によってわかる。出産時の奉仕者の分業から出た名目は、おそらくにふ・みふの用語例を、分割したものであったろう。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
此天つ祝詞にさうした産湯の事が含まれて居たらしい事は、反正天皇の産湯の旧事に、丹比タヂヒ色鳴シコメ宿禰が天神寿詞を奏したと伝へてゐる。貴種の出現は、出産も、登極も一つであつた。
水の女 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
この天つ祝詞にそうした産湯のことが含まれていたらしいことは、反正天皇の産湯の旧事に、丹比タヂヒ色鳴シコメ宿禰が天神寿詞を奏したと伝えている。貴種の出現は、出産も、登極とうきょくも一つであった。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
即、御名代部ミナシロベの起原であり、壬生部と称せられた。此が後世に伝はつて、更に御封ミブ・荘園とも変じてゆくのである。そして、反正天皇の際に於ける壬生部の統領は、丹比タヂヒ宿禰と云ふ家であつた。
貴種誕生と産湯の信仰と (新字旧仮名) / 折口信夫(著)