第一は主家の改易であった、その年、つまり寛永かんえい四年正月、下野守忠郷しもつけのかみたださとが二十五歳で病歿びょうぼつすると、嗣子ししの無いことが原因で会津六十万石は取潰とりつぶしとなった。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)