“なりとよ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
全登33.3%
動鳴33.3%
成豊33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
幸村茶臼山に陣し、毛利勝永は天王寺南門に備え、大野治長の先鋒銃隊東に在り、左方岡山口は大野治房を配し、迂回すべき遊軍は明石全登なりとよが精兵三百を率いた。又秀頼自ら桜門に出馬した。
大阪夏之陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
すなはちその大神の生大刀いくたち生弓矢いくゆみや一三またその天の沼琴ぬごと一四を取り持ちて、逃げ出でます時に、その天の沼琴樹にれて地動鳴なりとよみき。
次に正直の弟を杏朴成俊きやうぼくなりとしと云ひ、これが信道五世の孫ひかるの養子となつて水津氏にかへり、成俊の子に成豊なりとよ、正俊があつて、兄成豊は水津氏を継ぎ、弟正俊が又養はれて嵩山の子となつたのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)