“なかむらけいう”の漢字の書き方と例文
語句割合
中村敬宇100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
あたかもその時隣家なる同心中村武兵衛の家に小児が生れた。この小児は維新の後福沢諭吉ふくざわゆきちと並び称せられた洋学者中村敬宇なかむらけいうである。湖山の始めて星巌に謁したのはいつの時であったかあきらかでない。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
熙は初め中村敬宇なかむらけいうの同人社に入り後に佐藤牧山さとうぼくざん信夫恕軒しのぶじょけんとの二家について学を修め、帝国大学を卒業後はただちに助教授に挙げられ、老免せられるまでおよそ三十年漢文の講座を担任していたのであるが
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)