“しおわけちょう”の漢字の書き方と例文
語句割合
塩分町100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
二年ぜんから逐次に江戸を引き上げて来た定府じょうふの人たちは、富田新町、新寺町しんてらまち新割町しんわりちょう上白銀町かみしろかねちょうしも白銀町、塩分町しおわけちょう茶畑町ちゃばたちょうの六カ所に分れ住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
東堂は左腭下さがくかこぶを生じたので、自ら瘤翁りゅうおうと号していたが、別に臨んで、もう再会は覚束おぼつかないといって落涙した。成善の去った翌年、明治五年九月十六日に東堂は塩分町しおわけちょうの家に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)