“えさしちょう”の漢字の書き方と例文
語句割合
餌差町100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
あたかも徳川時代の所々の城下に、鷹匠町たかじょうまちだの、餌差町えさしちょうだのがあるのと同じ事で、もと彼らは京の真中に住んでいたのであります。
四月枕山は画家福田半香ふくだはんこうの碑文を撰した。半香は渡辺崋山わたなべかざんの門人。元治甲子の年八月二十一日六十一歳で没し、小石川こいしかわ餌差町えさしちょう善雄寺に葬られた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
柳町から餌差町えさしちょう、この辺は広い往来で、両側に家々がビッシリと並び、いらかが薄白く陽に光り、地面からほこりが立ち、物売りの声、下駄の音、行き来の人の話し声、文字通りの雑沓ざっとうであったが
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)