はらわた)” の例文
森田氏はいつでも忽ち用もないのにはらわたを皆に見せて廻る。尤も見て了ってから徐ろに又元の腹壁に大事そうにしまい込むのであるが。
社会時評 (新字新仮名) / 戸坂潤(著)
その他、鮨の材料を採ったあとのかつお中落なかおちだの、あわびはらわただの、たいの白子だのをたくみに調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そうしてどこにか、落城の折の、法螺ほらの音を聞くような、悲痛の思いが人のはらわたを断つ……山形の臥竜軒派では、これをこう吹いて……
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
と、胸をかれた。その心の壁を烈しく打ち叩いて、幼い頃のお燕の泣き声が、久しぶりに、この父のはらわたをかむように、よみがえって来た。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それではらわたが少し出て非常に困難をした。もしあなたが来て居ることを早くあの時に知ったならばこんなに困難もしなかったであろう。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
本当にはらわたを用意しておいてくれたんだね。——南から三つ目の窓だったね。もしまちがっていると、僕は考えていることがあるんだぜ。
生きている腸 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「うむ。蛙に煙草を飲ませると、斯う首を縮めて、頻りに咳をする。それからはらわたを吐き出すぜ。僕は子供の時に試したことがある」
善根鈍根 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
くしゃみ出損でそこなった顔をしたが、半間はんまに手を留めて、はらわたのごとく手拭てぬぐいを手繰り出して、蝦蟇口がまぐちの紐にからむので、よじってうつむけに額をいた。
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ほとばしる血をものともせず、傷口から片手さし入れて、はらわたムズと引きちぎるや、頼春の顔めがけて投げつけ、自身おのれは仆れて息絶えた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その詠嘆的な心細い口調は、黙って聞いている彼のはらわたをよじるようであった。彼はとにかく身を置ける一つの部屋が欲しかった。
永遠のみどり (新字新仮名) / 原民喜(著)
スクルージはマアレイがはらわたを持たないと云われていたのを度々聞いたことがあった。が、今までは決してそれを本当にしてはいなかった。
毛むくじゃらの手を懐中ふところに突込み、胸を引裂いてそのはらわたでも引ずり出したかの様、朱塗の剥げた粗末な二重印籠、根付ねつけ緒締おじめも安物揃い。
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
その声は、さながらにはらわたを絞る悲痛な声に変って、涙と一緒に迸るのであったが、しかし蔵元屋の主人は、やはり眼も口も開かなかった。
これにもはらわたはたたるべき声あり勝沼よりの端書はがき一度とゞきて四日目にぞ七里ななさとの消印ある封状二つ……かくて大藤村の人になりぬ。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
即ちその身の弱点よわみにして、小児の一言、寸鉄はらわたを断つものなり。既にこの弱点あれば常にこれを防禦するの工風くふうなかるべからず。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
半年もたたぬうちに、いかさまさいのつかいかたも覚えれば、そそり節の調子も出せ、朝酒の、はらわたにしみわたるような味も覚えた。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
はらわたを断つやうな呻き声が、段々彼女の耳の近くに聞え初めた。彼女の意識が、醒めかゝるに連れてその呻き声は段々高くなつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
高鳴りひびく音が旗を巻き、くずれ散り、うらみこもる低音部の苦しみ悵快ちょうおうとした身もだえになると、その音は寝ている梶のはらわたにしみわたった。
罌粟の中 (新字新仮名) / 横光利一(著)
訥々とつとつとした言葉に涙が交じって、自分のはらわたを叩きつけるように言う藤六の前に、お春も、八五郎も、平次も泣いておりました。
学校といえば体裁ていさいがいいが、実は貧民窟ひんみんくつ棟割長屋むねわりながやの六畳間だった。すすけた薄暗い部屋には、破れたはらわたを出した薄汚ないたたみが敷かれていた。
魚屋さかなやが人家の前に盤台はんだいをおろして魚をこしらえている処へ、鳶が突然にサッと舞いくだって来て、その盤台の魚や魚のはらわたなぞを引っ掴んで
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
農夫ひやくしやうはほつと息をついた。着物を跳ねのけてみると、豚は心の臓もはらわたも持つてない癖に、鉄面皮にも平気で脚を踏み伸して横になつてゐた。
その証拠にはたといどれほどはげしくおこられても、僕は彼女から清いもので自分のはらわたを洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おれははらわたが煮えくりかえるごとあるぞ。あれだけいうといたのに、お前がこげなことしでかして、なんもかんも、わやじゃ。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
酒樽の口から酒は螺旋して出るよ。はらわたは即ち螺線をなしてるのサ。川はやや平面的に螺線をなして流れる。山脈は螺線さ。
ねじくり博士 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
鳥沢とりざわも過ぐれば猿はし近くにその夜は宿るべし、巴峡はきようのさけびは聞えぬまでも、笛吹川ふゑふきがはの響きに夢むすびく、これにもはらわたはたたるべき声あり
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
公からの使を受けた時の夫子の欣びを目にしているだけに、はらわたえ返る思いがするのだ。何事か嬌声きょうせいろうしながら南子が目の前を進んで行く。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
赤坊は力のない哀れな声で泣きつづけた。仁右衛門ははらわたをむしられるようだった。それでも泣いている間はまだよかった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
さかなのはらわたみたいにドロドロして、その間から、神経であろうか、不気味に白いひもの様なものがトロリとはみ出している。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
彼のお父さんは、長い距離にわたって、倒れた家々の上を、下に埋って了った人達の、はらわたをちぎるような叫び声を聞きながら走ったそうである。
二週日のあひだ自分は海ばかりを見た。島と岬と岩と船と雲ばかりを見た。今だに強い海洋の香気と色彩とがはらわたまで浸み渡つてゐるやうな心持がする。
海洋の旅 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
障子しょうじは破れたきり張ろうとはせず、たたみはらわたが出たまゝ、かべくずれたまゝ、すすほこりとあらゆる不潔ふけつみたされた家の内は、言語道断の汚なさであった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
何故なぜ意久地がないとて叔母があああざけはずかしめたか、其処そこまで思い廻らす暇がない、唯もうはらわたちぎれるばかりに悔しく口惜しく、恨めしく腹立たしい。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
何うすればいいのか?——左源太は、哲丸の苦悶する夜の顔を考えてみると、自分の胸を、はらわたを引っ掴んで、掻き廻されているように感じてきた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
一体いったい出来できが面白い都会で、巴里パリーに遊んでそのいにしえをしのぶとき、今も悵恨ちょうこんはらわたを傷めずにはいられぬものあるが
不吉の音と学士会院の鐘 (新字新仮名) / 岩村透(著)
世間に啓示けいしして遣るのだ。どれだけの才能を放棄して置いて、危く鱷のはらわたに葬つてしまふところであつたと云ふ事を、世間の奴等が理解するだらう。
過日このあいだも写真を一緒に取に行ったので皆んなにからかわれて居ました、ここへも入来いらっしゃる方なのと無頓着に言聞けられて、貞之進のはらわたは煑えるようで
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
スープの次はやっぱりいわしを使ってグレーに致しましょう。それは鰯の頭を取りはらわたを抜いて塩と胡椒を当てておきます。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
眞淵は口にこそ萬葉善しといへ、其實、はらわたには古今以下の臭味深く染み込みて終に之を洗ひ去る事能はざりしなり。
万葉集巻十六 (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
「おめえが今さら泣くよりも、お絹のやつが自分から——おらを売ってくれろと云われた時にゃ、男のおらが……はらわた掻毮かきむしられるような思いだっただ」
暗がりの乙松 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
ともすれば籠み上げて来る鳴咽を噛みしめながら、はらわたのちぎれるような声を振り絞って夫に向って、訴えるように、励ますように、掻口説かきくどくのだった。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
陸はしずかにはらわたを中へ納めて創口を合わせ、その後で足を包む布で朱の腹から腰のあたりを繃帯して手術を終ったが、榻の上を見ても血のあとはなかった。
陸判 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
批判力ではらわたにえぐりこむ言葉の鋭いこと、言訳、陳弁、三拝九拝、蒸気のカマの如き奥州弁で、豆の汗を流した。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
朝日が高く上つたので、しめきつたへやのなかは蒸暑く、おまけに昨夜ゆうべのコツプ酒が祟つて、はらわた迄も熱つぽかつた。
大阪の宿 (旧字旧仮名) / 水上滝太郎(著)
さかなのはらわたをぶちまけたようなものが、うす暗い中で、泣いているわ。手をやると、それがぴくりと動いた。毛のないところを見れば、ねこでもあるまい。
偸盗 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ところが釣ると直ぐはらわたを取り出して、籠に入れる人があるが、それは鮎の本質を棄ててしまうのと同じである。
香気の尊さ (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
その初時雨の淋しさがはらわたに沁みこむように覚えられた時自分の情を猿に移して猿も蓑をほしげだと言ったその心持に俳諧の生命はあるというのであります。
俳句とはどんなものか (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その時、壁の向うではらわた千切ちぎれるような悲痛な泣声が起った。別の声がそれに押っかぶせて娘の名を呼んだ。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
魚のはらわたのように疲れて帰って来ていたのに……この嘘つき男メ! 私はいつもあなたが用心をしてかぎを掛けているその鞄を、昨夜そっとのぞいてみたのですよ。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
あゝ、何といふ拷問だらう、かうしてゐる間も彼奴がエミの膝に抱かれてゐるかと思ふとはらわたが断れさうだ。
街角 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)