)” の例文
支線の車に乗り換へると、ローラも涙にれた顔を直すためにヷニテイ・ケースを膝の上に取りあげると一心になつて鏡をのぞきはぢめた。
南風譜 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
おつぎはつめたいあめれてさうしてすこちゞれたかみみだれてくつたりとほゝいてあしにはちたたけがくつゝいてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
「吾妹子が赤裳あかもの裾の湿ぢむ今日の小雨こさめに吾さへれな」(巻七・一〇九〇)は男の歌だが同じような内容である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
例せば誰も蛇は常にれ粘ったものと信ずるが、これその鱗が強く光るからで、実際そんなに沾れ粘るなら沙塵が着き、おもりて疾く走り得ぬはずでないか。
そこでお頸をお刺し申そうとして三度振りましたけれども、かなしみの情がたちまちに起つてお刺し申すことができないで、泣きました涙がお顏をらしました。
麻やたえを着ていた時代には、その扇は使わずともすぐに蒸発したのが、木綿もめんになってそれをほとんと不可能にしたのである。だから夏分は肌がいつもれている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
何とは知らず周囲の草の中で、がさがさ音がして犬のれて居る口の端に這い寄るものがある。木の上では睡った鳥の重りで枯枝の落ちる音がする。近い街道では車が軋る。
「ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露やましたつゆれにけるかも」(巻七・一二四一)などと較べると、やはり此歌の方が旨い。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
いわく家馬肉のごとし、ただし地に落ちて沙にれず〉とあるは、いわゆる蒙古の野小馬ワイルド・ポニー一名プルシャワルスキ馬だろうが、昔は今より住む所が広かったらしい。
「わたしは不思議な夢を見た。サホの方から俄雨が降つて來て、急に顏をらした。また錦色にしきいろの小蛇がわたしのくびまといついた。こういう夢は何のあらわれだろうか」
あまりにぎやかそうなのでかさを借りて、夕方ぶらりと様子を見に出てみると、土俵場どひょうばは雨にれて人影もなく、ただその周囲の掛茶屋の中から、多くのゆらめき酒盛りの声が聞えている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
たらひけがれた微温湯ぬるまゆうへからつちそゝがれた。さうしてれたにはくつたむしろまたかれた。あさから雨戸あまどはなたれてあるけばぎし/\とうへむしろ草箒くさばうきかれた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
また「霍公鳥ほととぎすしぬぬにれて」(同・一九七七)等の例もあり人間以外のれた用例の一つである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
何処いずことも知れぬ大海を漂浪したこの動物の遺骸破れ損じて浜辺の地上にのたくった、その長さ四丈八尺海沫かいまつれ巌石に磨かれたるを、ヘルモナクス魚取らんとて網で引き上げ