建武けんむ)” の例文
世はいくさに次ぐ戦であった。建武けんむの平和もつかの間でしかなかった。楠木正成くすのきまさしげ、弟正氏まさうじたち一族のおびただしい戦死が聞えた後も、乱はまなかった。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
為世は自足して元徳四年出家し、八十の高齢で華々しい栄華を一とまず閉ざした。その後、高野山こうやさん蓮花谷れんげだに隠棲いんせいしたが、元弘げんこう建武けんむの間また京都に帰ってもいる。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
あの建武けんむの昔二条河原の落書らくしょとやらに申す下尅上げこくじょうする成出者なりでものの姿も、その心根のいやしさをもって一概に見どころなき者とおとしめなみする心持にもなれなくなります。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
それに比べては僭越せんえつであるが、建武けんむの昔、楠正成卿が刀折れ矢尽きて後、湊川みなとがわのほとりなる水車小舎に一族郎党と膝を交えて、七しょうまでと忠義を誓われたその有様がどうやら
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そうなると、元弘げんこう建武けんむの昔の蒸し返しで、遠からずまた戦乱の世の中となるかもしれない。まあ、われわれは高知の方へ帰ったら、一層兵力を養って置いて、他日真の勤王をするつもりですとさ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
こうして建武けんむの中興成り、世も太平に向かおうとした。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ただ暗い冬の夜と、寒々しい枯野のなかを、湊川の水音は淙々そうそうとすぐそこに聞える。——建武けんむ延元えんげんたけびを思わすような風の声もして。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの建武けんむの昔二条河原の落書らくしょとやらに申す下尅上げこくじょうする成出者なりでものの姿も、その心根のいやしさをもつて一概に見どころなき者とおとしめなみする心持にもなれなくなります。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
源平げんぺい建武けんむ応仁おうにんの乱とつづいて、何百年かにわたって作られて来た武器は、合戦のたび、山野にも捨てられたが、その数は、おびただしいものに違いなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくて奥羽にも鎌倉にも、幕府でない、新政体下の民政府ができ、一応、形はととのったかのようなうちに、元弘三年は暮れ、明けて、建武けんむ元年に入っていた。
伝統すでに二千年、ときには建武けんむの前後、室町末期のごとき、世風の壊敗かいはい、人心のすさびなど、嘆かわしい一頃ひところはあったにせよ、皇室への臣民の真心にはかわりはなかった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武けんむの聖戦のかげにも、女性の力のどんなにおおきかったかということだ。小楠公を生み育てたのも夫人なら、良人おっとの正成公をして後顧こうこうれいなく忠戦させたのも夫人の内助だ。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武けんむの年の新田にった足利あしかがの合戦をはじめ、岡崎の要害として、ここはいくたびか古戦場となって来たし、今も——つい数年前には、織田信秀おだのぶひでと、松平家の軍とが、大戦の血をながし
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武けんむの頃には石田源左衛門という方が、菩提寺ぼだいじの過去帳にものっております。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建武けんむの後、また応仁のみだれなど、長い幾世のあいだにかけて、ここらあたりも、御領主さまはうつり変ってまいりましたが、わしらにおさずけ下されている田や畑の土ばかりは変りませぬ。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)