布衣ほい)” の例文
その時に限り上下でなく衣冠いかんを着け天神様のような風をする。供もそれに準じた服を着た。私の父も風折烏帽子かざおれえぼうし布衣ほいで供をした。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
果は濡羽ぬれは厚鬢あつびん水櫛みづぐしあてて、筈長はずなが大束おほたぶさに今樣の大紋だいもん布衣ほいは平生の氣象に似もやらずと、時頼を知れる人、訝しく思はぬはなかりけり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
而して此間にあたりて白眼天下を睥睨へいげいせる布衣ほいの学者は日本の人心を改造したり、少くとも日本人の中に福沢宗とふべき一党を形造れり。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
それ海内かいだいの文章は布衣ほいに落ち、布衣の文章は復古的、革命的思想を鼓吹こすいす。彼らのある者はみずからその然るを覚えずして然りしものあらん。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
烏帽子は、階級のしるしだった。商も農も、諸職も、六位七位の布衣ほいたちも、日常、頭にっけている。雪隠せついんの中でも載せている。
彼ら布衣ほいのものが、草木を押しわけ、密林にさまよい、あげくの果てには有能な仲間を一人犠牲にまでしてやっと探しあてた土地でありながら
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
蜀漢しょくかん劉備りゅうび諸葛孔明しょかつこうめい草廬そうろを三たびう。これを三れいと言うてナ。しん、もと布衣ほい……作阿弥殿、御名作をお残しになるよう、祈っておりますぞ。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
布衣ほいの江戸町奉行が、貧相な同心づれとふたりっきりで対坐するなどは、実もって前代未聞、なにかよくよく重大な事態がさしせまっているものと思われる。
従来、数十人ないし百人以上の家臣従僕が列をなして従った大名旗下はたもとの供数も、万石以上ですら従者五人、布衣ほい以下は侍一人に草履取り一人とまで減少された。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だが、これからもまた、布衣ほいをまとって、いつまでも渓に海に、竿と糸とに親しむ自分であろうと思う。
水の遍路 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
などに射られて少々逆上のぼせ気味の、長座せばいよ/\のぼせて、木曾殿も都化みやこくわして布衣ほいを誇る身の万一人爵じんしやく崇拝と宗旨変しゆうしかへでもしては大変、最早こゝらが切り上げ時と
燕尾服着初めの記 (新字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
布衣ほいであろうと王侯であろうと人間の一生は同じことじゃ。王侯などになったならかえって苦労が多かろう。布衣の方がなかなか気楽らしいなどと思っていたものじゃ。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
 幕府の三せき布衣ほい、国を憂ふることをゆるさず。その是非、われつて弁争せざるなり。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
衣冠いかん布衣ほいを着ていなければならないはずの大宮人達は新興の勢力に媚びて武家の着る筈の直垂ひたたれなどを着て大宮人の優美な風俗を無くしてしまい、そうして遂には都らしい優美に
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
美しい膳部を院の御車みくるまへ運び続けるのが布衣ほいたちには非常にうらやましく見られた。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
『臣モト布衣ほいみづかラ南陽ニ耕シ、いやしくモ生命ヲ乱世ニ全ウシテ聞達ぶんたつヲ諸侯ニ求メズ』
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そしてせがれ山城守意知やましろのかみおきともを通じて、若年寄の耳に吹込ふきこまれ、翌月は早くも、秋月九十郎二百石に加増、御腰物方に登用され、その翌年の暮にはもう御使番衆、布衣ほい千石高と出世しておりました。
「古代希臘の布衣ほいつてやつだよ。ほらソクラテスが着てるだらう。あれさ」
双面神 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
民間の一布衣ほい、大隈重信が大隈伯に変ったのはこのときである。第一次新内閣の顔触れは、総理大臣、伊藤博文。外務大臣、井上馨。内務大臣、山県有朋。大蔵大臣、松方正義。陸軍大臣、大山巌。
早稲田大学 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
魚の形をせなんだら予且に白竜は射られぬはず、今王も万乗の位を棄て布衣ほいの士と酒を飲まば、臣その予且のうれいあらんを恐るといったので王すなわちやめた(『説苑』九)という故事を引いたのだ。
布衣ほいとなりて銀河を仰ぎけり
七百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
大納言は、常のとおり、布衣ほいかんむり婀娜たおやかに着なして、鮮やかなくるまに乗った。雑色ぞうしき、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月を負ひて其の顏は定かならねども、立烏帽子に綾長そばたか布衣ほいを着け、蛭卷ひるまきの太刀のつかふときをよこたへたる夜目よめにもさはやかなる出立いでたちは、何れ六波羅わたりの内人うちびとと知られたり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
乱れた白髪よごれた布衣ほい、永い辛苦しんくを想わせるような深いしわと弱々しい眼、歩き方さえ力がない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
幕府の三尺、布衣ほい国を憂うることを許さず。その是非ぜひ、吾かつて弁争せざるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
世代の藩主の面目も立てると云うならば、このわが殿を、殿——布衣ほいの庶民にして、それを家来たるものがだまって見ておられましょうか、せたりといえども、重役の座に列したこの神山外記
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
布衣ほいの一青年孔明の初めの出現は、まさに、曹操そうそうの好敵手として起った新人のすがたであったといってよい。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おもきを誇りし圓打まるうち野太刀のだちも、何時しか銀造しろがねづくりの細鞘にそりを打たせ、清らなる布衣ほいの下に練貫ねりぬきの袖さへ見ゆるに、弓矢持つべき手に管絃の調しらべとは、言ふもうたてき事なりけり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
こういうお触れ書きが出たんだとよ、『布衣ほい以下は、格別の訳合有之これある節は、根津、音羽等へも相越し、平日は蹴転けころ(最下等の女郎)し、または百蔵ももぞう(同様)相用いらるべく候』
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
狩衣かりぎぬの下に、ものを着、太刀をわきばさんで、うつぼ柱の辺りに、かがまり忍ぶ布衣ほい曲者しれものぞ』
布衣ほいながらも一流の剣客、気軽で夜郎自大ではないが、時と場合にはうんと自重し、天下の副将軍と下世話にいわれる、水戸中納言家から招かれても、一応のところは断わって
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いってみれば、そこらの往来でも役所の門でも、ざらに見かけられる平凡な四十男、あるいは布衣ほいのなにがしといった程度の人としか思えない目の前の正成だった。
「こう構えれば拙者は与力、幕府の役人にござります! ……たとえ名門におわそうと、殿は布衣ほい、無位無官、拙者をお斬り遊ばしたが最後、謀反人むほんにんとおなりなされましょうぞ!」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
仁和寺にんなじの御幸も、あと十日ほどしかない。院の武者所むしゃどころは、その日のしたくに忙しかった。清盛は、こんど初めて、六位の布衣ほいじょせられて、御車の随身ずいしんを仰せつかった。
私のような一布衣ほいを限りなくお信じなされればこそ、この一大事をお任せ下さるのだ。自分は幕府に対しても、又徳川家に対しても、何等恩怨ある者ではない。ただ士は己を知る者のために死す。
正雪の遺書 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
又太郎とて治部大輔じぶのたゆう、無位の布衣ほいでもございませぬ。立武者のうちに加えて、よそながらでも、御盛儀を拝するわけにはゆきますまいか。せっかく、都へ来あわせていた身の冥加みょうが
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふいに襄陽じょうよう郊外から出て来たこの布衣ほいの一青年に譲らざるを得なくなっている。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、清盛はまだ見る影もない布衣ほいだったし、義朝は得意のさかりであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
臣はもと布衣ほい、みずから南陽に耕し、いやしくも性命を乱世に全うし、聞達ぶんたつを諸侯に求めざりしに、先帝臣の卑鄙ひひなるを以てせず、みだりにおんみずから枉屈おうくつして、三たび臣を草廬にかえりみたまい
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)