伯耆ほうき)” の例文
そのうえ、はるか伯耆ほうき船上山せんじょうせん行宮あんぐうからも、千種ちぐさノ中将忠顕ただあきが、山陰中国の大兵を組織して、丹波ざかいから洛中をうかがっていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中国地方でも、伯耆ほうき印賀いんが村などは、氏神様が竹で目を突いて、一眼をお潰しなされたからといって、今でも決して竹は植えません。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
日本橋、通旅籠町とおりはたごちょうの家持ちで、茶と茶道具一切いっさいあきなっている河内屋十兵衛の店へ、本郷森川宿じゅくの旗本稲川伯耆ほうきの屋敷から使が来た。
半七捕物帳:27 化け銀杏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そして、おなみだのうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲いずもの国と伯耆ほうきの国とのさかいにある比婆ひばの山におほうむりになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
ここに政宗に取っては厄介の者が出て来た。それは政宗の臣の須田伯耆ほうきという者で、伯耆の父の大膳という者は政宗の父輝宗の臣であった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
尊は門人達に、「熊山、吉野山、伯耆ほうき大山だいせんなどには仙境せんきょうがあって、吉野山の神仙と、熊山の神仙とは常に往来ゆききしている」
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
しかし半蔵はそれを穿うがち過ぎた説だとして、伯耆ほうきから敦賀を通って近く帰って来た諏訪頼岳寺すわらいがくじ和尚おしょうなぞの置いて行った話の方を信じたかった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すなわち、近江中将入道蓮浄れんじょう佐渡国さどのくに、山城守基兼は伯耆ほうき、式部大輔雅綱は播磨はりま、宗判官信房は阿波あわ、新平判官資行が美作みまさかといったぐあいである。
神尾主膳は、青地錦の袋に入れた一振ひとふりの太刀を床の間から取り外しました。それは多分伯耆ほうきの安綱の刀でありましょう。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
街道を東に進んで右手に大山だいせんの美しい姿が見え出しますと、もう伯耆ほうきの国に入ります。県も鳥取とっとり県に移ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
このお隱れになつたイザナミの命は出雲いずもの國と伯耆ほうきの國との境にある比婆ひばの山にお葬り申し上げました。
ただ春霞のため伯耆ほうき大山だいせんが見えなかったのは残念でした。扇ノ山を下ってすぐ北の山へ登ります。
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
新田義貞は上野こうずけに、赤松則村のりむら播磨はりまの国に、結城ゆうき宗広は陸奥むつの国に、土居、得能とくのうは四国の地に、名和長年は伯耆ほうきの国に、菊池武時は九州の地に、そうして足利高氏さえ
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
憶良は、大宝元年遣唐使に従い少録として渡海、慶雲元年帰朝、霊亀二年伯耆ほうき守、神亀三年頃筑前守、天平五年の沈痾自哀ちんあじあい文(巻五・八九七)には年七十四と書いてある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
供奉ぐぶの武将達も、或は河内に、或は伯耆ほうきに、北条氏討滅の為にあらゆる苦悩を味った訳であるから、此の日の主上及び諸将の面上に漂う昂然たる喜色は、想像出来るであろう。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
九州では彦山の豊前ぶぜん坊、四国では白峯の相模坊、大山たいせん伯耆ほうき坊、猪綱いのつなの三郎、富士太郎、大嶺の善鬼が一統、葛城天狗、高間山の一類、その他比良岳、横川岳、如意ヶ岳、高尾
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
先年その辺の人々『古事記』にこの尊を出雲伯耆ほうきの堺比婆之山ひばのやまに葬ったとあるは誤りで、論より証拠炙かれた局部が化石して現存すれば誰が何と言っても有馬村のが真の御陵だ
伯耆ほうき印賀鉄いんがてつ、これを千草といって第一に推し、つぎに石見いわみの出羽鉄、これを刃に使い、南部のへい鉄、南蛮なんばん鉄などというものもあるが、ねばりが強いので主に地肌じはだにだけ用立てる。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
こゝに脊負しょってるこれを覚えて置け、刀屋になるのなら是を覚えて置かなければならんぜ、粟田口國綱という勝れた逸物わざものだ、刀屋にならば能く覚えて置け、五ろう入道寳龍齋正宗にゅうどうほうりゅうさいまさむね伯耆ほうき安綱やすつな
つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、媾和こうわするならば、備中びっちゅう備後びんご美作みまさか因幡いなば伯耆ほうきの五ヵ国を割譲かつじょうしよう。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しゅうとの家がほろびると間もなく、彼もその所領を召し上げられて、伯耆ほうきの国に流罪を申付けられ、房州の名家もその跡を絶ったのである。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
コウゲは郡家ぐうけの転訛という説の不当であることは、勝田郡のごとく相接して十数箇のコウゲがある一事でも証し得る。その説というのは『伯耆ほうき志』に
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
伯耆ほうきの安綱の刀を持って出て行方ゆくえ知れずになった幸内が、今ここにこんな目にあわされていることを誰が知ろう。
この噂が耳に入ったのか、清盛入道は、信連を斬るのを止め、彼を伯耆ほうきの日野へ流すことにきめたのであった。
伯耆ほうき美作みまさかでは大猿を祭り、河内では河伯かっぱを崇めると云う。これらの迷信は捨てなければならない
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山口駿河するがは大坂にいた。その時は将軍も大坂城を発したあとで、そこにとどまるものはただ老中の松平伯耆ほうき城代じょうだい牧野越中まきのえっちゅうとがある。その他は町奉行、および武官の番頭ばんがしらばかりだ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大國主の命を殺そうと相談して伯耆ほうきの國のテマの山本に行つて言いますには
みんなは、大国主神を、伯耆ほうきの国の手間てまの山という山の下へつれて行って
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
山陰道さんいんどう丹波たんば丹後たんご但馬たじま因幡いなば伯耆ほうき出雲いずも石見いわみの七ヵ国でこれに隠岐おきの島が加わります。県は主として鳥取県と島根県とでありますが、東寄りの国々は京都府や兵庫県の一部を占めます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さて、ここに伯耆ほうき印賀いんが鉄がある。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
その折にも面目を失したし、次いで去年、伯耆ほうき馬之山うまのやまにおいても、吉川元春と対陣の末、われはわれから陣を払って引き退いた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
侍従はともかくも難波津なにわずへ逃げ下ろうと言った。采女は伯耆ほうき大山だいせんの霊験者のもとへひとまず落ち着こうと言った。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこへ伯耆ほうきのカナゴキ屋という行商が、毎年初秋の頃にって来て、分割支払法をもって鉄製の稲扱を売っていた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「因州鳥取にやすつなという刀鍛冶は聞かねえが……そうそう伯耆ほうきの国に安綱があるが、こりゃあ別物だ」
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
多くの公卿くげたちの中には今だに鎖港攘夷さこうじょういを主張するものもあったが、ようやくのことで意見の一致を見たとの話も出た。なお、詳細のことは老中松平伯耆ほうきから外国公使へ談判に及べとの話も出た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
遠く伯耆ほうき因幡いなばにもおよんで「五郎八ごろはち茶碗」ともいわれる。古いものは主として緑青か白の失透釉を用いたが、後には宝珠ほうしゅの玉の模様を入れ、色も黄色のが多い。時として無地天目てんもくのものも見かける。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
前後を囲繞いにょうした家臣の面々、志水浦太夫、原信濃、野尻右馬介、河越喜翁、千村民部、奈良井主水もんど、萩原又兵衛、大妻三河、古畑権内、木曽伯耆ほうき、山村七郎、馬場半左衛門、征矢野六郎、磯尾新兵衛
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
秀吉は新城にくつろくいとまもなく、またすぐ軍をすすめて、因幡いなば伯耆ほうきの国境に転戦した。飽くまでも積極的な秀吉の日々夜々であった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次いで伯耆ほうきは『伯耆志』に今の西伯さいはく郡大国村大字新庄の一字に土囲と呼ぶ地がある。これには空隍からぼりの跡がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
十二伯耆ほうき安綱の巻、十三如法闇夜の巻、十四お銀様の巻、十五慢心和尚の巻、十六道庵と鰡八の巻、十七黒業白業の巻、十八安房の国の巻、十九小名路の巻、二〇禹門三級の巻。
生前身後の事 (新字新仮名) / 中里介山(著)
里見の家は領地を奪われて、忠義は伯耆ほうきへ流罪を申付けられたのである。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
占領地の内政やら、城郭の大改築、軍の再整備などがすむと——七月の二十日、御著の官兵衛の麾下きかを誘い、総軍、因幡いなば伯耆ほうきへ入った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『和名鈔』の時代には曾比そび、それが『壒嚢抄あいのうしょう』には少微しょうびとなり、近世に入っては少鬢しょうびんともなったが、なお播磨はりまでは将人しょうにん伯耆ほうき出雲いずもでは初人しょにん備前びぜん美作みまさかでは初爾しょにといって
「いいえ、お嬢様がお悪いのじゃございません、伯耆ほうきの安綱が悪かったのでございます」
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
六波羅のもよう、赤松勢の進退、千早金剛の戦況、伯耆ほうき大山だいせん以後の後醍醐軍のうごきなどまで、ほぼ、把握していた高氏だった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伯耆ほうき大山だいせんふもとの村里などでは、その日は正月下旬のある一日、または秋の収穫がすんでからのちに、一日のうちに木棉綿もめんわたから糸を引き、はたにこしらえて織りあげたものを
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「本阿弥様が申しまするには、この刀は伯耆ほうき安綱やすつなであろうとのことでござりまする」
もちろん秀吉の軍がそこへ到るまでには、因幡いなば伯耆ほうきなどに散在する敵の諸砦しょさいを、その前年から、次々と、攻めつぶして行ったものである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伯耆ほうき大山だいせんの後には韓山からやまという離れ山があります。これも大山と背くらべをするために、わざわざからから渡って来た山だから、それで韓山というのだといい伝えております。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
伯耆ほうきの安綱が悪いのじゃから不祥ふしょうせい……それからまたお前の主人の伊太夫の娘、気の毒ながらお化けのような娘、あれを拙者が嫁にしたいと言うのは、抱いて寝たいからではないぞ
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)