一人も残さずに遠い鬼界ヶ島へ流せと仰せられたを、わたしが縋ってなだめ申したは、お前という者がいとしいからじゃ。
“鬼界ヶ島”の解説
鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、平安時代末期の1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。延慶本『平家物語』では「鬼界嶋」のほか「鬼海嶋」「流黄嶋」「油黄嶋」などの表記もみられる。
古代日本人は屋久島と口之島の間に国境の意識をもっていたともいわれ、「鬼界島」は「果てしなく遠い絶海の孤島を表現する一般的島名」とする見方もある。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。
(出典:Wikipedia)
古代日本人は屋久島と口之島の間に国境の意識をもっていたともいわれ、「鬼界島」は「果てしなく遠い絶海の孤島を表現する一般的島名」とする見方もある。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。
(出典:Wikipedia)
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