“関藤々陰”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
せきとう/\いん50.0%
せきとうとういん50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
中二月を隔てて、八月に養嗣子鍗次郎ていじらうが家督相続をした。即主計頭正方かぞへのかみまさかたである。関藤々陰せきとう/\いんが「十四歳襲封」と云つてゐる。正方は伊予守正寧庶出の第三子で正教の弟である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
関藤々陰せきとう/\いんの「菅自牧斎先生墓碣銘」に「茶山先生以儒顕、本藩賜爵禄優待之、比歿、樗平君子孫独先生(自牧斎惟繩)在焉、以姪孫承其後、主郷校、藩給廩米五口、事在文政丁亥」
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
阪谷朗廬さかたにらうろ関藤々陰せきとうとういんの此日の挙措を叙してしもの如く云つてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)