“関藤藤陰”の読み方と例文
読み方割合
せきとうとういん100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
此年壬戌に福山藩の小島氏で成斎知足せいさいちそくが歿した。継嗣は第二子信之しんしである。成斎の墓表は二あつて、一は海保漁村が撰び、一は関藤藤陰せきとうとういんが撰んだ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
近時山陽のために伝を立てた諸家の云ふを聞くに、五郎は即石川君達で、石川君達は即後の関藤藤陰せきとうとういんださうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
関藤藤陰せきとうとういんは備中国吉浜の社家関藤左京政信の第四子で、六歳の時医師石川順介直経に養はれ、石川氏を冒した。その本姓に復したのは維新後の事である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)