“せきとうとういん”のいろいろな漢字の書き方と例文
此年壬戌に福山藩の小島氏で
成斎知足が歿した。継嗣は第二子
信之である。成斎の墓表は二あつて、一は海保漁村が撰び、一は
関藤藤陰が撰んだ。
近時山陽のために伝を立てた諸家の云ふを聞くに、五郎は即石川君達で、石川君達は即後の
関藤藤陰ださうである。
関藤藤陰は備中国吉浜の社家関藤左京政信の第四子で、六歳の時医師石川順介直経に養はれ、石川氏を冒した。その本姓に復したのは維新後の事である。
阪谷朗廬は
関藤々陰の此日の挙措を叙して
下の如く云つてゐる。