赤生津あこうづ)” の例文
それがこの夏のはじめに、遠田郡小里村と、登米郡赤生津あこうづ村とのあいだで、地境のあらそいが始まり、ひどくもめているというのです。
「いや、赤生津あこうづと小里村はこのうしろに当りますし、深谷は向うに見えるあの」と兵庫は東南を指さした、「あれが旭山ですが、あの山の向うにあるのです」
そのうちの二カ所、登米郡赤生津あこうづと遠田郡小里村の件は、安芸の譲歩によって落着したが、式部はそれで味を占めたように、桃生ものお郡の深谷でまた問題を起こした。
伊達安芸あきと伊達式部との、領地の境界の争いは、遠田郡小里村、登米郡とめごおり赤生津あこうづ村、桃生ものお郡深谷、という三カ所で起こっていて、甲斐はその現地へ、内検分にでかけた。
ところが、涌谷のほうでは逆に、こちらで地境を侵していると云いだし、桃生郡ものおごおり深谷と、遠田郡の小里村、また登米郡の赤生津あこうづの三カ所について、こちらの不法を挙げて来た、と式部は云った。