“羽倉簡堂”の読み方と例文
読み方割合
はくらかんどう100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
嘉永六年癸丑きちゅう三月三日に横山湖山、鷲津毅堂の二人が羽倉簡堂はくらかんどうに招かれて、その邸に催された蘭亭修禊しゅうけいの詩筵に赴いた。簡堂の邸は下谷御徒町藤堂家の裏門前にあった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
はじめ野田笛浦のだてきほ古賀謹堂こがきんどうに従って学び後に羽倉簡堂はくらかんどうに師事した。名古屋藩校の督学を辞して後東京に帰り浅草新堀に学舎を開き明治二十一年十二月某日に没した。享年六十である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)