無明まよい)” の例文
と『雑阿含経ぞうあごんぎょう』には書いておりますが、とにかく、無明まよいの心を解脱して、苦を滅し尽くした境地が、滅諦めったいすなわち涅槃です。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
しかし、一たび、心眼を開いて、因縁の真理に徹し、無我の天地に参ずるならば、いとうべき煩悩ぼんのうもなければ、捨てるべき無明まよいもありませぬ。「渋柿しぶがきの渋がそのまま甘味かな」
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
しかもその五欲に愛着し、執着することは、結局、「因縁」の道理を知らないがためです。すなわち、一切は空であり、無我であることを知らない、無知の無明まよいから起こるわけです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)