涸燥こそう)” の例文
かの俳人が枯淡を尊ぶのは、趣味性の上の薫育であって、詩的精神の涸燥こそうを意味しないのは勿論である。詩的精神の情熱が枯れてしまったら、そもそもどこに俳句の表現があり得るか?
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)