泗川しせん)” の例文
慶長二年に父の吉次が死んで吉之丞の代になると、二度目の朝鮮征伐に義弘について泗川しせんに行き、粮米荷頭ろうまいにがしらと小荷駄才領を兼帯けんたいでやり、矢丸やだまの下を駆けまわった。
呂宋の壺 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)